What is context design?

当初、3月3日に開催予定だったイベント「[特別対談企画] 渡邉康太郎 x 井登友⼀ ~コンテクストのデザインとは~」を、7月20日にオンラインで開催することができましたので、ブログのほうでも振り返っておきたいと思います。

「コンテクスト」という言葉は、デジタルプロダクトのデザイン(情報設計やUXデザイン)に携わっていた自分には馴染みのある言葉ではありましたが、今回お話しを聞いた中で出てきた言葉(弱い文脈など)をいくつかのセッションに分けてご紹介しようと思います。

なお、オンライン上での会話を少し読みやすいように書き直したり書き足したりしていますので、ご了承ください。

背景

Takram のコンテクストデザイナー渡邉康太郎さんの著書『CONTEXT DESIGN』は SNS で知ったのですが、「コンテクストデザイン」という言葉はこれまでも情報アーキテクチャやUXデザイン界隈で時折触れられていたテーマでしたので、それらとどう違うのかに興味がありました。そこで、HCDやサービスデザイン界隈でもご活躍のインフォバーン・デザイン・ラボ「IDL」のリードをしている井登友一さんに相談し、渡邉氏との対談というカタチでこのイベントを企画しました。著書は、もちろん事前に読ませていただきました。

言語化

今回のイベントで得た一番の収穫は「言語化」にあると思います。たとえば、渡邉氏の「語りの運動」や井登氏の「意味探し」などはそれぞれのお仕事についての紹介から出てきた言葉ですが、同じデザイン領域の仕事であっても表現方法はふたりとも非常にユニークです。

Zoom上での配信画面
コンテクストデザインとは

「コンテクストをデザインするのではなく、コンテクストなデザインをする※」という説明が一番理解しやすかったと思います。「コンテクスト」とは提供者からの一方的なものではなく、折り重ねていく関係性が生まれる状況を指しています。

※context(文脈)をデザインするのではなく、context(con-ともに texere 編む = 共創的)なデザインをする

コンテクストはスタティック(静的)ではなく、変化・時間・流れを含んでいる関係性を指しており、一緒につくることが一番大事なポイントでもあるということでした。

先駆的すぎたバレエ演劇『パラード』での先人ギヨーム・アポリネールの「シュールレアリスム(造語)」発言を引き合いに、語り得ないものを語れるようにする新たなモノサシの提案例としてご紹介いただきました。また、漢字に隠れて見えづらくなっている原義を解読した例として「南無阿弥陀仏」についてのお話しがありました。

人間中心かどうか

冒頭にも書いているとおり、情報設計やUXデザインに携わっていた背景から、人間中心設計(HCD: Human Centered Design)についての理解はあるほうだと思いますが、そうした設計をしたとしても最終製品を見ると「本当にこれが人間中心なのか」と疑問を抱くことも多くあります。

メッセージアプリの例では、メッセージを効率的にすばやく送れることをプロダクトのUI/UXの目標にしがちですが、それによって相手の集中を奪っていないか、というメッセージのやりとりにおける人間関係に着目した例は非常に興味深かったです。これは「Time Well Spent」という概念を提唱しているトリスタンハリス氏の講演に依るそうですが、目標設定がアップデートされることが重要だという話でした。

そのためには提供者だけでビジネスを考えるのではなく、ユーザーとともに作り上げていく関係性を考える必要があります。

強い文脈、弱い文脈
強い文脈、弱い文脈
  • 強い文脈とは、作品における作者の糸、歴史的な位置づけ、広く認められている読解を指す
  • 弱い文脈とは、ある個人の解釈や、その作品に結びつけているエピソードを指す

もし、あなたの会社のミッションや目的が、競合他社と同じようなものであれば、いっそ競合他社どうしで合併したほうが(社会にとって)いいのではないか。社会における企業の存在意義は、自分たち自身が何者なのか、しっかり言語化できなければいけないと渡邉氏は言います。

ただ、そうした強いビジョン(強い意思)がもともとある場合やその強さが保たれている場合は少ないため、如何に弱い意思から拾い上げ引き出すことが肝心だと井登氏は話します。具体的には、社員の声のほうに耳を傾けるようなこと。

ロベルト・ベルガンティ ミラノ工科大学教授の「意味のイノベーション」を引き合いに出し、inside out や outside in のような二分法に依存せず、社会配置(中心がない考え方)から対象を見ていくことも実験されているようです。

デザインの役割とは

中国の作家・閻連科のエッセイ(文藝)に「中国では、異なる声をあげることは難しいことである」としたうえで、「文学は無力であるが、文学は異なる声をあげることができる」とあるそうです。つまり、文学が担っている N=1 として弱者の声を如何に伝えるか、という役割は、先に述べている弱い文脈に相当していると見ることができます。

とするならば、マーケティング調査のような統計データや数字で多数の声をわかろうとする行為より、一人の声や様子などをもとに価値化する行為を重視するデザイン思考界隈の傾向は、弱い文脈にシフトする新しいデザインの役割として理解することができます。

リレーショナルアートやソーシャルエンゲージアートを引き合いに、「隠れている弱い文脈を引っ張り出すのがデザインに求められる」と井登氏は話します。

弱い意思を持ち続けるためには

グローバル化するビジネスにおいて、数社のプラットフォーマーから提供されるものを正解として享受してしまうと、一人ひとりが同じ答えに誘導されてしまう傾向をはらんでいます。そうした強い意思に巻き取られないために、如何に一人ひとりが弱い意思を持ち続けるかどうかが大切です。

ガンジーの言葉にこういうのがあるそうです。

あなたの行動は世界を変えることはできないかも知れない
でもあなたは行動し続けなければならない
あなたが世界に変えられないために

マハトマ・ガンジー

自分が世界に変えられれないために行動をし続けなくてはならない、と渡邉氏は言います。

井登氏からは、企業を法人(人格)として捉えると、これまでは取り上げやすい問題や解決方法を見つけていくことは合理的だったが、これからはやっかいな弱い文脈を取り上げていくことに価値を持つこと(勇気を持つこと)が大切だとお話しいただきました。

遅さが大事

ボクから『遅いインターネット』『弱いAIのデザイン』の本についてお話ししたところで、「遅さが今後大事になってくる」と渡邉氏は言います。遅延ニューロンというのがあり、伝達を遅らせる神経らしく生物学的にも「早いことが良いこと」ではないらしいです。

また、「あらゆる文化は遅延から始まっている」という学者もいたり、認識と行動が結びつく仕組みを引き合いに、時間をかけることで生まれる余裕やその価値、楽しさについても遅いほうが価値を生むというお話しもありました。

井登氏からは、読書において、一度読んでもわからない本を何度も読むことでわかってくる現象にも似ていると話しました。インプットとアウトプットは問われるが、途中のスループットは問われない。知識の質を深める意味においてもスループットで時間や回数をかけてのほうが質が深まるそうです。

その後、「読むエネルギーは20%でいい、読んだあと、棚卸しにエネルギーを使うことが重要」という話もあり、読書の仕方や古本に線を引いたりすることについて話しました。松岡正剛さんのエピソードでは、本の内容より、どうその本と対峙したかを書いているそうです。本の中にそのときの状況(食べたものとかただのメモ)を記憶していると見ることもでき、たいへん興味深い話でした。

俳句にみる共創の世界

日本語の対話のしくみは西洋とは違うらしいです。相槌の出現頻度が高いのが日本で、目を見てじっと聞くのが西洋。そのため、日本では、言葉のキャッチボールをするのではなく、一つのことを複数人で一緒に組み上げているような特性を持っているとも言えます。短歌や俳句の世界でも、上の句下の句を別の人がつくる連歌のようなものなどもあり、一つの作品を複数人でつくることにより所有者があいまいになっている場合も多いとも言えます。

ひとつの作品に関わった方が多いほうが、語られる量が増えるので好ましいと、渡邉氏は言います。日本は古来から、作家性をいろいろな人が持ち合わして文化の共創(共和)と呼べるようなものがあったのかも知れません。逆にみると、責任者不在のようなネガティブな発想も持ちやすい文化があるのかも。

実ビジネスでいかに実践するか
  • マクロな話、異なる声にいかに耳を済ませるか
  • ミクロな話、非合理的な日々の会話の中にいかに取り入れていく

弱い文脈を拾うことは、企業の中では全社員が関われることが大事だと渡邉氏は話します。キッカケをつくること、そのためにはアンケートフォームでもいいし、Takram では Notion を使い全プロジェクトの会議録が見れるそうです(情報の透明性が重要)。

企業活動は、そもそも合理性で説明できない部分に帰結するため、「火星に行く」などのような非合理な夢を言語化することにより、合理的な手段(物資を輸送するためのシャトル開発など)に思い至るようになるという話をご紹介いただきました。BCGのマトリクス(重要度・緊急性)で分布した場合に、一見重要ではなく緊急性もないものが意味を持つようなところを見ていくことが今後は求められるのでは、というお話しでした。

変化自体は目的ではない

(ビフォー・コロナに)戻ろうとする力が働く企業もあるが、以前のように戻れる保証もないし、実際には戻れないことも自明になってきています。

コロナ感染という世界的なパンデミックは、誰も予想ができなかった未来であったわけで、今後どうなるか未来は予想できないことが改めて明らかになったと言えます。そのため予想することよりも、自分たちが何をすべきか SpaceX を引き合いに「自分たちが望む未来を構想すること」が重要だと渡邉氏は話します。

井登氏からは、「意思を持ってやるしかない、強い意思を持つことだけが正解ではない。弱い意思でもいい、いろいろな関係者が持つ弱い意思を、どう編み上げていくかが企業の力量」とし「企業とは弱い意思があつまったもの、を認めることが必要だ」とお話しいただきました。


以上、まだまだあるのですが、今回はここまでをまとめとさせていただきます。

渡邉康太郎さん著『コンテクストデザイン』は、都内2箇所でご購入できるそうです。(2020年7月20日時点)

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