いま、面白いことが起きている。
AI によって、人間が辿ってきた思考過程が見えなくなりつつあるということだ。
思考過程にこそ価値がある
2011年に書いた著書『IAシンキング』には、こんなことを書いている。
情報設計において重要なのは、最終的な構造そのものではなく、そこに至るまでの思考のプロセスである。
- 結果より過程に価値がある。
- 正解は一つではない。価値は導き方にある。
- 良し悪しを決めるのは思考である。
- プロセスこそが学習であり、成果は副産物。
- How over What(どう考えたかが何を得たかより重要)
当時のボクは、この「思考プロセス」を共有することに、かなりヤッケになっていた。
なぜか。
できるだけ再現性を高めることで、無形で曖昧になりがちなウェブサイトという存在を、ある一定水準の「モノ」に昇華できると考えていたからだ。
言わずもがな、その背景には、ウェブサイトというモノの品質が一向に向上しないという苛立ちがあった。
何かしらの基準を設け、その基準に沿って構築すれば、一定の品質を担保できるはずだと信じていた。見た目の基準はもちろんだが、それ以上に重要なのは思考過程の標準化だと考えた。
思考プロセスが共有できれば、誰でも一定水準の構築ができる。量産にも向くし、効率もいい。だからこそ、思考プロセスを言語化し、その設計方法を広く知ってもらおうとしていた。
生成AIブーム
2025年現在。
生成AIブームのなかで、人類はこれまで待ち望んでいた「答え(らしき反応)」を、ほぼ即座に手に入れられるプラットフォームを手にした。つまり、自分で深く考えなくても、統計的にみて妥当そうな答えを、いつでも引き出せるということだ。
冒頭の言葉を借りるなら、人間が理解し、説明できる形での思考プロセスは、ないに等しいという表現になる。
たしかに、いま文章を書く際に AI を使わないことはほとんどない。むしろ前提として使っている。ただし、ゼロからすべてを生成させるというより、自分が書いた文章や考え方に対する意見交換、いわゆる壁打ちとして使うことがほとんどだ。
自動運転における AI
一方、現在の仕事の主軸である自動運転の開発に目を向けると、ここでも生成AI、とりわけE2E(エンドツーエンド)と呼ばれる手法が話題を独占している。
これまで主流だったのは、「認識(Perception)・予測(Prediction)・計画(Planning)・制御(Control)」といったプロセスをモジュールごとに分けて処理するアーキテクチャだ。Waymo などが代表例だろう。
一方、Tesla や Wayve のように、そのプロセスを単一の AI で処理する E2E 型の開発が注目されている。単一にすることで、モジュール型に比べて効率は上がり、プロセス間の不整合も起きにくい。
しかしその反面、AI が処理を担うことで、その内部プロセスはブラックボックス化する。
なぜそう判断したのかは、開発者やメーカーであっても説明できない、という問題が生じる。
自動運転は人の生死に直結する領域だ。事故が起きれば、原因究明と再発防止策が求められるのは当然である。しかし、それが AI による判断だった場合、その「なぜ」はブラックボックスのまま残る。
どちらが良いか悪いかは、ここでは置いておく。
ただ、これを思考プロセスという観点だけで捉え直すと、興味深いことに気づく。
- ある事象を形作るとき、人は「なぜそうするのか」を考える。
- ある事象が起きたあとには、「なぜそうなったのか」を考える。
つまり、現代の人間社会において「何かを形作る」という行為には、必ず説明責任「なぜそうしたか」が伴う。その呪縛から、完全に逃れることはできない。
現在のAIを用いるということは、突き詰めれば、「なぜそうなったかを説明する余地をスポイルする」という行為でもある。
ここまで書いてきて、自分自身は「それが当たり前になる社会は来ない」と思っている。
だからこそ、思考プロセスの価値は、これからも失われないはずだ。
自動運転の業界では、いまモジュール型から E2E へと方針を傾けようとする動きが加速している。
だがそれは、プロセスを理解していないから省略するのではない。プロセスを理解したうえで、簡略化しようとしているという点で、ひとつの成熟とも言える。
そう思う、2025年の年の瀬。