automotive HMI design thinking

車業界に1年半くらいいてみて、わかったことがあります。

当然ですけど、過去に作ってきたモノありきですべてのモノゴトが進むことです。そこはキャリーオーバーですと。

つまり、過去のものをそのまま流用します。理由は簡単です。そのほうが早いから。部品の検討だけでも年単位で検討を繰り返しており、新たな検討期間が必要になることを誰も望んでいないからです。一度検討したものは繰り返したくない、というのが本音だと思います。

さて、そうすると、過去の車からどこを変えるのか、が焦点となっていきます。行き着く先は、マイナーチェンジの量産になります。

部分的に変えようとすると、あっちこっちでハレーションが起きます。この部品がこの間に入らない、この部品がほかの部品と合わない…って話になっていきます。

…そもそもそのマイナーチェンジって必要なんですか?

部分的に見ても同じように、ハードありきでモノゴトが進んでいきます。こういう場所にこういうディスプレイがあるとすると、なにが表示されているといいか…。

…そもそもそのディスプレイって必要なんですか?

なにか前提が大きく違っている気がしてならないんです。

車ありき、ディスプレイありき、から始めるデザインではイノベーションは生まれない、純粋にそう思いました。

ボクはあまり運転はしませんが、運転中にそもそもそんなに情報は必要ないと思うんです。それをディスプレイありきから考えていくと、どうやってディスプレイを (情報で) 埋めるのか、という議論になっていきます。紙面のデザインをしていた時に余白を埋めようとするバイアスと言えばわかりやすいでしょうか。

情報は、必要なときに必要な分だけあればいいわけなので、それを実現するにはディスプレイありきの検討からは生まれないと思うんです。

情報アーキテクチャの命題

これまで、Webやアプリのデザインをするとき、いかに情報を伝えやすくするのかが課題でした。ただし、それは無意識にハードを見ていない、画面の中だけの情報だけを見ていたように思います。

それに対して現在は、ハードも合わせてデザインに取り取り組んでいると言えます (主にコックピットまわりのHMIです)。さしずめスマホでいう端末自体も作っているようなものでしょうか。

そうすると、画面内に取り込む情報と、画面の外にあるスイッチ類、ステアリングにあるボタンなどなど、考える範囲 (情報) が爆発的に増えていきます。

それらがわかってくると、情報はこれ以上増やさないほうがいい、増やしてはダメだと脊髄反射的に思うようになるわけです。

つまり、情報を如何に伝えやすくするか、ではなく、情報を如何になくしていくか、が、これからの情報アーキテクチャの命題になると思いました。

カロッツェリアの再定義

もし、今から車を再発明するとしたらどういうカタチにするだろう。もう車とは呼ばないのかもしれないし、移動すること自体を否定されるような時代になっていくのかも知れない。

少なくても、今の車の前提ではないところから作られていくと思いますし、そういう車がどんなモノなのか興味があります。興味があるのと同時に、それを作ってみたいという思いにたどり着きました。

たとえば、今ドライバーの目の前にはさまざまな情報が (ソフトにしろハードにしろ) あるわけですが、それを一掃したらどうなるのか。またはステアリングをなくすとどうなるのだろう。常に今の車の前提を壊していくアプローチが望まれるのではないか。

それらを実現するための取り組みを始めようと思います。


もし興味ある方は Facebook のほうにメッセージください。もちろん車のデザイン経験がなくてもぜんぜんOKです。ボクもほとんどありませんので (為念)。

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